林業再生!はじめの一歩(第一回放送)
音声はコチラ- 大串
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今回は「地方創生の奇跡!!岡山県の西粟倉村のバイオマスを見に行ってきた!」と題して、お送りします!
- 徳田
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行ってきましたね!綺麗な景色もたくさんありましたので、HPに写真をアップしてありますので、ぜひ見てみてください!
というわけで、この後、西粟倉村での取材の模様を、ジャーナリストの堀潤さんを迎えてお送り致します。
お楽しみに!
堀潤さんの思い出。西粟倉村とは?
- 徳田
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今日のゲストをご紹介します!ジャーナリストの堀潤さんです!
- 堀
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宜しくお願いします!西粟倉村!僕は思い出が詰まった村ですからね!
- 徳田
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そうなんですよね!
その西粟倉村なんですけど、
初めて知った方も、もしかしたらいると思うんで…
- 堀
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もしかしたらじゃないと思う!
一同:笑
知ってる方は、ああー!っておっしゃいますけど
なかなかレアな村だと思うんですよ。
- 大串
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コレを取り上げたか!というネタですね。
- 徳田
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なんで、こんなに注目されているのか、基本情報をご説明したいと思います。
人口は1500人、およそ600世帯、村の面積の95%が森林なんです。
- 堀
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いいとこですよー
- 大串
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すごく自然で、マイナスイオンがたっぷりでしたよね!
- 徳田
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当時、政府が進めていた、平成の大合併…
その時に、合併することを、拒否した村なんですよね。
独立の道を選び、2008年、50年前の村民たちが、子孫のために植えてくれた木を
さらに、50年育て続け、100年続く森林にして、また再び子孫に残していこうというプロジェクト
『100年の森構想』を掲げました。
というところで注目されているということなんですけど、
- 大串
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コレだけだと、ちょっと何がすごいか伝わりづらいよね。
- 徳田
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役場の上山さんという方のお話を伺ってきておりますので、そのインタビューをもとに、
堀潤さんと一緒に、深く掘っていきたいと思います。
- 堀
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僕、なんでこんなに思い出の場所だって言ったかというと
NHKの初任地だったんですよ!2001年に岡山放送局に、入局しまして…当時22歳です。
それまでは、都市部で暮らしてきましたので、初めての田舎暮らしだったんですよ。ホントに感激しまして
山があり、川があり、人々の営みが美しくて
美味しいモノがたくさんあるんですよ。
自然薯とかが取れたりとか?
召し上がったことはありますか?
- 徳田
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無いですけど、有名ですよね!
- 堀
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天然の自然薯は、鍋にポトンと落として食べると
お団子状態になって、めちゃくちゃ美味しい!でもそういうトピック以上に、
思い出に残っているのは、さっきご説明いただいた平成大合併の最大のニュース発信拠点だったんですよ。
この村が、合併をしない選択をした?
絶対、将来なくなるかも知れない…と
他のところは、合併特例債、お金をもらえないし、生き残れないから…ということで
ドンドン合併しているのに、
西粟倉は、住民の判断で、小さい村のままやる!ってもうこれは、地方の町のあり方として、どっちに転ぶのか!
って大注目だったんです。
- 徳田
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それってでも、村の皆さん全員が合併しないことに賛成した訳ではなかったんですか?
- 堀
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当時は、いろんな議論がありましたね。
でも最終的に、投票して、自分たちで選択すると
周辺の村や町は、合併して、大きな美作っていう市になってますけど…その後20年。僕は東京に行ってたりしていて
どうなってたかなー?と思っていたら、
最近、西粟倉、西粟倉って、地方創生では必ず出てくるので…
ええー!!って西粟倉ホント!!!って
だって、岡山県民の中でも、岡山市内とか行っちゃうと
西粟倉ってどのへんでしたっけ?って聞かれるくらい、鳥取県境ですから
- 大串
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車で2時間以上でしたね!
- 堀
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そっか!行かれたんですね?
- 徳田
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その西粟倉村が、地方創生に実績を、どう残していったのか?
地方創生特任参事『上山 隆浩』さんにお話しを聞いていきたいと思います。
- 堀
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上山 隆浩さんも、公務員のみなさんの世界でも大変有名な方で、
スーパー公務員ですね
- 大串
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たしかにスーパー公務員でしたね!
- 堀
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上山さんが、いらっしゃらなかったら、なかなかここまでの改革が進んだかどうか…
というのもあるかもですね。
- 徳田
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早速ですが、インタビューを聞きましょう!
まずは、
『合併をしなかった西粟倉村が最初に行ったこととは?』というテーマで、聞いてみました。
合併をしなかった、西粟倉村が最初に行ったこととは?
- 大串
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この100年の森構想とは、どんな構想なんですか?
- 上山
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2008年に、正式に、立ち上がったということになっているんですけど、
その事前段階として、2007年から、そういうことに携われそうな人材を集め始めました。2004年から2006年まで、合併をしないという選択をした後で、地域再生事業マネージャー事業という事業をやりまして、
そこで、観光施設の赤字をどうするか?とか、そういう話を進めている間に、
もともと観光施設っていうのは、都市部から来られるみなさんと、地域の資源とか資本を結びつけるチャネルだよね。
という位置付けになってですね。
じゃあ、そのチャネルの中で、どう都市部の人への売りって何だろうと考えた時に、
『それって山しかないよね』って話しになって、森林…資源にうつる。
そうすると、地域の人たちは、今まで長く山を世話してきたので、
山を管理するということについては慣れているんだけど、市場を介さずに、資本を売っていく、
もしくは、単純にいうと、都市部の人に西粟倉のファンになってもらう…みたいな作業が苦手なので、
そういうことが出来る人たちを2007年くらいから、徐々にいれていって、
その人たちと話していく中で、結果として、生まれたのが『100年の森構想』です。
そこから、11年間やってるという流れになります。
- 大串
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この構想の中で、村が森林の管理受託することを始めたのですか?
- 上山
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そうです。
もともと、木材の価格が安いとか、いろんなことがあって、
『山の価値』を見失いつつある状況にありました。
そんな状況にプラスして、林業に従事する方々の高齢化があり、
お年寄りたちは、僕の父親もそうなんですけど、
『もう林業や農業はダメだから、お前、地域に残ってもダメだから、いい大学いって、いい会社に入れ』と言う。
そんな教育を僕らは受けてきている訳ですから、
後継者がいない…という状況になる訳です。
で、山が動かなくなる…村の95%を占めている森林の価値…というのが、生きなくなる。
これを何とかしなきゃいけない…というのがスタートでした。それは、個人に任していたら無理なんです。
採算性がとれないから!
ここは、自治体として、税金を投入してでも、テコ入れしないとダメだよね!というのが、始まりです。
- 大串
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実際、地主さんのところに、自治体の方が行って?
- 上山
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そうですね!職員が地主さんのところに、説明して、
協定書の判をもらう作業を延々とやりました。
- 大串
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すごい!それがなかなかできないですよね
- 徳田
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その価値は素晴らしいですよね。
村が山をお借りする形で進めていったということですよね?
- 上山
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いや借りるのではなく、
村が、山を預かるという形です。村が、山を管理し、管理費用は一切いただきません。
そのかわり、その山の木材を売った収益の半分を地主さんへ配分し、残りの半分を村の収益として、またその収益で、次の森林整備をやります!
という話です。
- 徳田
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堀さん、今のお話しを聞いて、いかがでしたか?
- 堀
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ホントに、合併をするかしないかの選択があった、2000年代前半は、
この中国山地の課題は、やはり林業をどうするか…だったんですね。どちらかというと、林業が、
不良債権というか、地域によっては重しでしかなかった。
それをどうするのかということに対して、
逆に西粟倉は、最大の村再生の資産なんだ!と
ただ、そこには、いろんな規制があったり、いろんな課題があるところを
1つ1つ乗り越えていきましょう!新しいことをドンドンやりましょう!
ということが発端になったんですけども…
やっぱり、そこにあれば資源になる…という簡単な話ではなくて、
『仕組み作り』『人の育成』…そして『コミュニケーション』
そういったところで、すごく工夫していた…というのが、
改めて、聞いていて感心します。当時、中国山地では、思い出話しばっかりしていたんですよ
- 徳田
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思い出話し??
- 堀
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あの頃はよかった、あの頃は、林業が盛んだったからコレができた…とか
よく言われたのが、「このへんは、松茸列車…というのが走ってねー!」って
松林があって、そこで松茸がいっぱい取れたんですって
広島から、岡山から、松茸を積んだ列車が往来していたのが
中国山地の自慢だった。
ところが、その後、『林業が廃れていって、松枯れがして、松茸が育たなくなっちゃってねー』
そんな過去のお話しばっかり聞いてましたよ。それに比べると、上山さんのお話しは、完全に未来を見据えてましたよね!
まさに100年構想!
- 大串
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荒れた山をどうやって再生をしよう…っていうのは
日本中、悩んでいるんですよね。そんな中で、この小さな村で何が出来るのか…ということを考えて
最初に、村で山の管理を受託する…ということを英断できたのが、
素晴らしいですよね。
- 堀
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だいたいみなさん、田舎に行くと山を持ってるんですよ。
広いお宅ですよね~。というと、
「ここだけじゃないよ。あれを見ろ!あの山も!」
「あーあそこもですか?笑」っていう。それが、ちゃんと所有者が分かっていればいいんですけど、
代々受け継いでいて、ここは誰の山だっけ?という状況がいっぱいある。この山を預かりますよ。という村の取り組み。
さらっと言っておられましたけど、一筋縄ではいかない交渉もあったと思いますよ。
- 大串
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山は入会地というくらいですから、みんなが入る場所。
昔は、芝刈りといって、
今の芝刈りとは違うんです。
枝を刈って薪を取ってくることを芝刈りといってたんですが、
- 堀
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あーー!!!
だから、桃太郎のお爺さんは、薪を背負っているんですね!山へ芝刈りに…といって背負ってましたね!
- 大串
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そうなんです!芝生の芝じゃないんですよね(笑)
そんな感じで、山は、
みんなで使うモノだったので共通の資産だったんですけど、
時代が経って、使われなくなっていった時に、
誰のものだか、わからなくなっちゃった。というのが歴史背景にありますね。
- 徳田
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続いて、
西粟倉村の人口推移と、若者が集まり起業していく流れができたキッカケを聞いておりますので
お聞きください。
人口推移と、若者が集まり起業していくきっかけ
- 上山
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村の人口推移は、直近だと、毎年10人くらい減ってます。
ただ、極端な例え話しをすると、
30人くらいのお年寄りがお亡くなりになられて、20人くらいの若い方が入ってきている…というのが今の姿ですね。
- 徳田
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その若い方が入ってきているというのは、特別なアクションを起こしたのですか?
- 上山
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じつは、2015年から、ローカルベンチャースクールというのをやってまして、
これは、地域で、自分のビジネスプランを持ってチャレンジをしたいという若い人たちが、多いので、
そういった起業家のみなさんに来ていただいて、ビジネスモデルを見させていただいて、
これいいよね!というモノについては、地域のスタッフと、いろんなメンターをご用意して、
ビジネスモデルをブラッシュアップしていく作業を、半年間くらいやって、
半年後くらいに、再度プレゼンしていただいて、そこを通れば、
翌年の春から西粟倉に3カ年住んでもらって、都市部の方は、地域起こし協力隊のような制度を使ってもらって
3年間、地域で活動してもらって、4年目からの独立を目指す。という仕組み2017年からは、
ビジネスモデルを持ってくるような方は、尖った方が多いんですけど、
地域でやりたいけど、まだ地域の資源や資本がよく分からないという方もいらっしゃるので、
1年間研究生として、西粟倉に住んで、ビジネスモデルを作ってもらって、
2年目以降、ベンチャースクールに移行してもらって、よりビジネスモデルをブラッシュアップする…という仕組み作りなどを
やってます。東京のNPO法人さんと組んでいて、
東京には、地域と一緒にやりたいという方がいっぱいいらっしゃるので、
東京で、セミナーやラボをやったり、フィールドワークで来てもらったりして、
ある程度、ベースを作った上で、2階建てのプログラムとして、西粟倉のベンチャースクールに来てもらう。という仕組みつくりなどを
2016年からやっています。
- 徳田
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失礼ですけど、成功した企業の具体例などはございますか?
- 上山
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一番大きくなっているのは、2009年に起業した「森の学校」さんですね。
これは、木製品をつかった内装系の会社でして、
床貼りタイル…50cm角の、杉の木のタイルを作りました。今まで、タイルといえば、工務店さんがお客さんだったところを、
個人に対して、販売する…という新しい概念の商品を開発しました。木のタイルだと、引っ越しなどがあった時に、簡単に自分で組み立てたり、
取り外したりが出来るので、新しい需要を開拓しています。あとは、非常に軽くて丈夫なヒノキの家具を作ったりしていて、
年商は2~3億くらいの会社に成長しています。
- 大串
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ヒノキの家具は面白いですね!
- 上山
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あとは、出張日本酒バーですかね!
これは面白いんですが、
全国に出張して日本酒バーを開くんですけど、
個人のところでやるんですけど、そこに居酒屋の社長さんがくると
そのまま卸に変わる…とかですね2年前くらいから、内需型の事業が増えてきていますね。
教育とか、福祉とか、子育てとか、そういう分野の事業が増えていますね。10年間で、全部で34社。雇用としては180人くらい動いてますね。
全社の売り上げで、13億くらいあります。
- 大串
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すごい!
- 徳田
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全社の総売上が13億って!ビックリしませんか?
- 堀
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ビックリしますよね!
ベンチャー育成とかベンチャー支援とかって
地域創生の要で、この10年20年、どこもチャレンジしてきたんですよ
移住者を促進して、新しい産業を興して、山はバイオマスを作って、新しいイノベーションなんだって…
岡山県でも他の村や町でも、一生懸命やってきたんですけど、やっぱり、その中で、なぜ、西粟倉村が大きな成功例になったのかというと
ひとつは、デザイン力だと僕は思うんですよ。
HPひとつとっても、プロジェクトごとでも、ロゴがすごく可愛かったりとか
すごくデザインが利いていて、見た人の感性を刺激する。
新しいことが、ここで生まれるんだと思わせる。
そうすると色んなクリエイター達が集まってくる…こういう好循環を生み出しているのは凄くいいなーと思いますよね!
- 大串
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ポイントはオシャレ?
- 堀
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オシャレっていうのは、
単に見栄えがいいということだけではなく、
今までだったら、村役場で、こんなデザインはあんまり??
というモノを、『多分、許容してくれるんだろうな』という雰囲気。
『クリエイター達が好きにやっていい』って場所は最高じゃないですか。思い出してみてください。
役場にいったら、どこの役場に行っても
同じ色、同じ間取り、同じテイスト。西粟倉の場合は、そうじゃない。
好きに作っていいよ!
役場のHPってこのロゴでいいの?
どうぞどうぞ。っていう場作りが、巧みだったんじゃないかなと思います。
事実、僕の知人の、
ちょっと感度の高いデザイナーさん、クリエイターとか、コミュニケーターは
西粟倉を押していますし、実際に行って色んな活動をしています。
- 徳田
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話してみると、私の友人にもいました!
- 堀
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でしょ?
- 大串
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感性のアンテナに響く! そこで、そういう人が集まってくると!
- 堀
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そうですね!
日本を硬直化させているのは前例主義で、
すぐリスク回避でしょ?ちょっと逸脱したことをやると
みんなが袋叩きにして批判する。そういうんじゃないんですよ!
やっぱり自分たちで、西粟倉は生き残ります!って
決意を自らした村ですから、やれることは何でもやっていこう!と
当事者性に満ちた雰囲気というのが正にベンチャースピリッツだったんじゃないですかね!
- 徳田
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かっこいい!
- 大串
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自治体なのにベンチャー!
- 堀
-
ベンチャー企業も大変ですよね?
常にフロントライン!
- 大串
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色々ありますから大変ですよ(笑)
- 徳田
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お話しは尽きないですが、
続きは来週。
同じテーマで、引き続き、堀潤さんをゲストに迎え
お送りしていきたいと思います。